小澤征爾の現在や年収は?家系図や経歴は?音楽塾についても!

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小澤征爾さんの息子さんである、小澤征悦さんが2018年5月20日(日)に、おしゃれイズムに出演されます!

小澤征悦さんのご家族は有名な方ばかりで、実は小澤征悦さんも2世といえば2世なんですよね♫

お父様と業種は違いますが、皆様ご活躍されているんですね。

なので今回は、おしゃれイズムでもお父様の小澤征爾さんについてもお話されるようなのでまとめていきます!

 

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小澤征悦の父の職業や年収は?

 

 

小澤征悦さんのお父様は小澤征爾(おざわ せいじ)さんといって、有名な指揮者の方なので音楽やクラシックに関することに詳しい方は、ご存知の方もいらっしゃるのではないかと思います!

 

どれくらい有名なのかというと、2002年から2003年のシーズンから2009年から2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた世界的な指揮者なんですね。

なんと日本のみならず、世界的に有名な指揮者で『世界のオザワ』とも呼ばれています(‘Д’)

小澤征爾さんは1935年生まれで、現在は82歳!

学生時代は時代が時代ということや、音楽という厳しい世界にいたことで多くの苦労を経験されてきました。

 

当時、小澤征爾さんが高校生の時、齋藤さんという方の指揮教室に通われていて、斎藤さんから指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたため、あまりのストレスから小澤が自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をしたこともあったそうです…。

お芝居の現場でも「まじめにやれー!!」と監督に灰皿投げつけられるなど、そういう指導方針は、昔から受け継がれているいわば、それも伝統にように感じますね。

 

その後幾度となく日本から飛び出し、世界各国を廻りながら修行してある日の1961年にNHK交響楽団の指揮者に招かれ指揮活動を開始しましたが、この時に感情的な軋轢のためN響からボイコットを受け小澤征爾さんはたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任このため日本では音楽活動をしないと決め、渡米しました。

1966年にウィーンフィルハーモニー管弦楽団の初指揮をし、新境地へと進出していったのですね。

 

これは小澤征爾さんの82年間生きてきた中のほんの一部ですが、これまでの軌跡が見えてきますよね。

2016年までは病気と闘っていた時もありましたが賞も数多く受賞しています。

 

小澤征爾さんの現在というところですが2018年3月に『子供と魔法』という子供の為のオペラを指揮する予定でしたが、3月8日に大動脈弁狭窄症であることが分かり、1か月の入院をしたというニュースまでの情報までしかなく、今はもう退院されているのかが不明でした。

 

小澤征爾さんの年収予想なのですが・・・

名の知られた有名指揮者ランキングを見ると、小澤征爾、ロリン・マゼールクラスで、一晩、オーケストラの指揮をした場合、1回の公演で約500万円ほどの報酬となるそうです。
故カルロス・クライバークラスの、ハイレベル指揮者などは、2,000万円ほどになる場合もあるそうです。

引用元:平均年収.jp

と、指揮者の年収や報酬はその時の公演内容や、熟練度でも何十万単位で違ってくるそうですね!

ただ現在、小澤征爾さんはご病気というのと、大分ご年齢を重ねられたということで、年収は500万円~900万円ほどに落ちてしまっている可能性はありますね。

 

小澤征爾の家系図や経歴は?

 

 

ここからもわかるように、小澤家の人々はみんな凄い方ばかりで、小澤征爾さんのお子様だけにとどまらず、小澤征爾さんおご兄弟からもう皆さん、凄いですよね・・・(‘Д’)

エッセイストや文学者、彫刻家、指揮者・・・

 

入江美樹さんは元モデルということで、とても美人ですし小澤征悦さんのいとこは、シンガーソングライター。

全員が全く違う方向を向きながらも、全員がその道を究めていっていることが、珍しくもあり圧巻です。

さてさて、ここからは小澤征爾さんの経歴を時系列順にまとめていきたいと思います。

 

~小澤征爾さんの経歴~

1935年9月1日:満洲国奉天市(中国瀋陽市)生まれ。

1951年:成城学園高校に進みましたが、齋藤秀雄の指揮教室に入門したため、1952年、齋藤の肝煎りで設立された桐朋女子高校音楽科へ第1期生として入学。

1957年頃:齋藤さんの紹介で群馬交響楽団を振りはじめ、群響の北海道演奏旅行の指揮者を担当。

1957年12月:日本フィルハーモニー交響楽団の第5回定期演奏会におけるラヴェル『子供と魔法』にて、渡邉暁雄のもとで副指揮者をつとめる。

1959年:パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。

ヨーロッパのオーケストラに多数客演。

カラヤン指揮者コンクール第1位。

指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。

1960年:アメリカボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現・タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。

指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。

1961年:ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨーク・フィルの来日公演に同行。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれました。

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1961年:NHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始するが、感情的な軋轢のためN響からボイコットを受ける。小澤はたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任(これはN響事件、小澤事件、N響小澤事件などと呼ばれる=後述)。このため日本では音楽活動をしないと決め、渡米した。

1964年:シカゴ交響楽団(当時の指揮者はジャン・マルティノン)によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。

1964年~1968年:トロント交響楽団の指揮者に就任。

1966年:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮。

1970年:タングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任し1976年まで務めた。

1972年:フジサンケイグループによる突然の日本フィルハーモニー交響楽団の解散後、楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。

1991年:名誉芸術監督に就任、1999年9月から桂冠名誉指揮者となっている。1972年に日本芸術院賞を受賞している。

1973年:38歳のとき、前出のニューヨーク・フィルおよびシカゴ響と共にアメリカ5大オーケストラの一つに数えられるボストン交響楽団の音楽監督(第13代)に就任。

1984年9月:恩師である齋藤秀雄の没後10年を偲び、小澤と秋山和慶の呼びかけにより、世界中から齋藤の門下生100名以上が集まり、齋藤秀雄メモリアルコンサートを東京と大阪にて開催。

1998年:長野オリンピック音楽監督を務め、世界の国歌を新日本フィルハーモニー交響楽団と録音。長野オリンピック開会式では、小澤指揮によるベートーベン第九を演奏。開会式会場と世界5大陸の都市(北京、ニューヨーク、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結び、歓喜の歌を世界同時合唱で結ぶ。同年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を受賞。

2002年1月:日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた。2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。

2006年6月:スイス西部モントルー近郊ブロネで開催された「スイス国際音楽アカデミー」にて指揮活動を再開。

2006年度:サイトウ・キネン・フェスティバル松本、2007年4月にベルリン・フィルを指揮。

2007年:ウィーン国立歌劇場総監督ホーレンダーの2010年勇退に伴い、音楽監督小澤征爾の同時退任が発表された。2010年シーズンからの総監督はドミニク・マイヤー、音楽監督は、ウェルザー=メストの就任が発表された。

2008年:世界の音楽界に多大な影響を与えたことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、文化勲章を受章した。

2010年11月:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。

2012年8月31日:『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(村上春樹との共著、新潮社)で小林秀雄賞受賞。

2013年4月1日:前年死去した吉田秀和の後任として水戸芸術館の2代目館長に就任。
2014年8月4日:長野県松本市の音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)」が翌2015年から、小澤征爾の名を冠した「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に生まれ変わることになったことを、実行委員会が東京都内で記者会見して明らかにした。

2015年7月:ケネディ・センター名誉賞を受賞。日本人では初の受賞。
同年8月、セイジ・オザワ松本フェスティバル開催。長野県名誉県民栄誉賞の第1号を受賞。

2016年2月:自らが指揮する歌劇『こどもと魔法』(ラヴェル作曲)を収めるアルバムがグラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞した。

2016年3月:成城大学初となる名誉博士号を贈呈された。記念式典ではサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団メンバー、成城学園にゆかりのアーティスト達が集結し、『S.オザワ祝典アンサンブル』を結成した。

2016年4月:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。
2016年10月:名誉都民に顕彰される。2016 GQ Men of the Yearを受賞。

 

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一年単位で、進み続けてこられた経歴が素晴らしかったですね。

こんなに目まぐるしい日々を送られてきたことが、軌跡と呼ぶのにふさわしく、私も書いていて凄いな・・・とただただ感動していました。

現在は82歳ということですが、ご本人が無理をなさらない程度に、これからも指揮者として歴史に名を刻んでいってほしいですね。

 

また生で見れる機会があるとするならば、見てみたいです。

 

小澤征爾の音楽塾って?

 

小澤征爾さんは、自らの経験を若手の音楽家へ受け継いでいこうということで音楽塾を設立しています。

 

2000年に、小澤征爾がオペラを通じて若手音楽家を育成することを目的に開始しました。
恩師であるカラヤンの言葉「交響曲とオペラは、音楽という車の両輪のようなもの」を持論とする小澤は、その実践の場として小澤征爾音楽塾を年に一度開催しています。小澤征爾音楽塾は、これまでに19回開催され、10のオペラ作品とマーラー:交響曲第2番「復活」を取り上げてきました。

引用元:小澤征爾音楽塾の公式HP

公式HPでも2018年の公演は発表されていませんが、オーディションなども行っているようでした。

 

オーケストラも1から学んでいくのはとても大変そうに思えますが、ここで学ぶことができる音楽家の方にとっては夢の場所になっているのではと思います。

世界各国でどんな困難にも負けずに指揮者として、歩み続けられた方にご教授いただける機会があるということは、若手の方の希望ですよね♫

 

そしてこれからも、またすっかり健康な状態で指揮者として戻ってこられる日を楽しみにしていたいですね。

 

それでは今回は、小澤征悦さんのお父様である小澤征爾さんについてまとめさせていただきました!

 

 

 

 

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